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「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース 「セイジさん手作りの、ダンボールで出来たテーブル
」■
「こういうふうにして食べるご飯はおいしいかい?」というのは、ナイトウ・セイジさんが自分のレポートに記録した写真や、活字にして印刷した中で、ベトナム語で書いたものとしては大変重要な表現なのです。
(このテーブルは食事をする時に、体に障害を持った子を起こして食べさせたり、テーブルの外がわに出したり、口に食べ物を運んだりするのには大きさが合わない・・・)などと、細かいことまで忘れないように、彼はそのレポートに記録していました。
彼の考えでは、(障害児の体に合わせて、一人ずつにダンボール製のテーブルを設計して作成してみよう)ということです。「これが出来れば、私のデザインの独占権が生まれます」と話していました。
セイジさんはこれからビエンホア工業区にある日本の会社に行ってダンボールを貰い受けてから、一人一人専用のテーブルを作成しようと思い、そのために今それを探しています」と話していました。
また「紙で出来たテーブルを使えば軽いので、どんな子供たちでも口に食べ物を運びやすいし、たやすく食事が出来るのです」と話していました。
ナイトウ・セイジさんはドンナイ省にある障害児の養護施設センターで、障害児にリハビリ治療を施すために派遣されて来た青年海外協力隊の一員です。彼はそこで障害児が社会活動に参加する機会を作ったり、障害児の世話をする技術を高めるために協力しています。
日本人である彼をそばで見ていると、彼jはいつも力の限り努力していて、溢れる熱情を子供たちに対して持っています。日本では3ヶ月ベトナム語を勉強しただけでまだ少ししか知りません。さらにベトナムでは1ヶ月だけ北部訛りを南部訛りに直すために勉強しました。これは施設の子供たちと話したり、子供の言葉を良く聞き取ることが出来るためにです。
施設のほかの職員や先生たちは、みんなセイジさんを尊敬しています。「セイジさんはいつも仕事をしている。ヒマな時はリハビリ治療の本を読んで研究している。いつも夜中の2時か3時にならないと寝ない」と彼等は言います。
彼等は「セイジさんは子供たちが汚れていても嫌がらない。セイジさんが子供たちの体をいたわっている時には、子供たちは親愛の情を表わしたいがために、セイジさんに頭や体を寄せてくる」と言います。
彼は今自分の上司に「もう一人スタッフを増やして欲しい」とお願いしています。「大きい問題はみんなが多額お金を寄付してくれることではなくて、社会のみなさん方がこのような障害児に関心を持って頂くことです」と彼は言います。
セイジさんは、この後彼が帰国してからもセンターの活動内容をさらに深く研究し、またさらなる発展をして欲しいと思い、この施設センターのために多くの資料を今ベトナム語で書いています。
「私達は日本のこのようなボランテイアの方々の活動や寄付などの厚意に対して、大変貴いことだと本当に感謝に堪えません。さらに嬉しいのは、みなさんから多額のお金以上に子供たちを励ますための大切な手紙が、みなさんから数多く寄せられていることです」と、センターの責任者であるPham Van Hueさんはこのように話してくれました。
Hueさんは最後にこう言われました。「セイジさんはいつかまたベトナムにきっと帰って来てくれるだろうと信じています。彼の活動に対しては、こころからみんなが感謝しているんですから」と。
(解説)
今月6月に、日本の青年海外協力隊(JOCV)の活動はベトナムにおいて10周年を迎えました。これはベトナムと日本、2つの政府の間で取り交わされたプログラムです。
JOCVは1965年に成立し、自ら志願した日本の青年たち(20歳から39歳まで)が、2年の任期で発展途上の国に赴き、そこで生活し・仕事をするプログラムです。今までにこういう人たちが福祉やスポーツや文化交流などの分野で、いろんな人たちがベトナムにも来ています。
以前6年ほど前に、ベトナムに水泳の指導に来ていた20代の日本の青年に会ったことがありますが、その青年も燃えるような情熱を持って指導に当たっていました。時々彼に会うと、「早くベトナムの水泳のレベルを世界に追い付くようにしたいんです」と語っていました。
今はもうその彼とは会っていませんが、どこかまた別の国で教えていることしょう。今のベトナムの水泳のレベルがそれから上がったのかどうかは定かではありませんが・・・。
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