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「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース 「毎日2,000人以上のベト僑が帰国」■
ホーチミン市にある国外ベトナム人滞在者管理局の委員主任によると、クリスマス前のこの数日間は外国からベトナムに帰るベト僑(海外に滞在しているベトナム人の通称)の数が増えて来て、毎日約2,000人から2,500人が帰国して来ているという。
12月23日には、タンソニヤット空港には世界各国から30便以上の飛行機が到着した。その乗客のほとんどはクリスマスとテト(旧正月)に間に合うようにと世界各地から帰国して来たベト僑たちだった。
多くのベト僑たちがアメリカから、オーストラリアから、カナダから、フランスから帰って来た。その中には今回が初めてベトナムに帰国した人たちもいた。
このように多くの海外からのベト僑たちの帰国を支援するために、ホーチミン市のベトナム人海外滞在者の管理委員局は、南部の空港や港でベト僑帰国者たちの荷物を持ってあげたり、入国手続きの仕方を助けてあげたりするためのボランテイアの青年団チームを組織した。多くのベト僑たちが空港に降り立った時から、彼等の税関の手続きが終る時まで・・。
(解説)
私も以前このベト僑たちが帰って来た時の光景を、偶然空港で見たことがありました。この時に帰って来た人たちが何年ぶりの帰国だったのかは分りませんが、海外から帰って来るベト僑たちを迎えるその親族で空港は黒山のような人だかりでごった返していました。
久しぶりに再会した親族と出会ったベト僑たちは、ゲートを出た所から走り寄らんばかりにして親族たちと涙を流して抱き合っていました。その光景を見ていると、こちらも胸がジ〜ンとして来ました。彼等が海外で今幸せな生活を築き上げるまでには、おそらく様々な苦労があったことだろうなとは容易に想像出来るからです。
私自身も以前、日本に難民として滞在していたベトナム人D君に会ったことがあります。彼の話を聞くとサイゴン陥落後のベトナム難民の脱出時の苦労のすざましさは筆舌に尽くし難いものだったようです。祖国が崩壊する時の体験と苦労は、今の日本人には到底想像出来ない世界です。
彼の話によるとベトナムを脱出した時には、小さい漁船に100人くらいが押し込まれて、食べ物や飲料水が全て不足していて、漁船に乗りこんだ人の中で何人かは日本に着く前に亡くなったそうです。
両親も兄弟も全てゼロから日本のスタートを切ったD君でしたが、それでも親戚も身寄りもない異国で両親は苦労して彼を大学まで卒業させました。今彼はその流暢な日本語能力を活かして日系企業で働いています。
今ベトナムはあのベトナム戦争が終って30年を超えましたが、彼の話を聞いていると、その当時の現実が目の前に存在するような感じがして来ます。
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