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「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース <少数民族と暮らす日本の女性> ■
ベトナムにいる少数民族の特徴的な文化や生活様式は、ある一人の日本人の女性をして、「ずっと、ずっとそこにいたい」と言わしめるのだった。
◎ 少数民族との縁◎
Masakoさんはベトナムに生活している少数民族の生活様式や文化を研究するために、高い山や珍しい場所にまで足を延ばして行くうちに、その文化や伝統にのめり込むほど惹かれ、彼ら少数民族が好きになっていった。
東京大学を1986年に卒業した後、Masakoさんはアジア・アフリカ文化研究科の講師になった。そして3年後、彼女の博士論文が認められて大学教授になった。
そして1989年の夏、一旅行者としてベトナムを初めて訪れ、37日間滞在し、ホーチミン市、ハノイ、タイ グエン、ベトナム北部など、ベトナムの多くの場所に足を延ばした。
険しい山岳部に住むターイ族の村では、高床式の家の中で民族舞踊を見せてもらったり、タイ族村では彼らが独特の民族衣装を身に着けて、楽器を演奏したり、踊りを披露してくれたりするのに、彼女は強くこころを奪われたのだった。
「少数民族の人たちの料理も、実に独特で興味深いものです。またここの民族の人たちはこころ優しい、いい人が多いのです。」とMasakoさんは話してくれた。その時には単に観光で訪れただけのベトナムだったが、彼女の学問の対象としての興味のほうが大きくなって来たのだった。
それで日本に帰るとすぐに、少数民族の研究をするために、べトナムへ行く手続きを始めた。しかし個人的な事情がありすぐには来れなくて、1994年にまたふたたびベトナムに戻って来たのだった。そしてまず最初にMasakoさんがしたことは、ベトナム語を勉強することであった。
一人で荷物を背中に背負い、その上達したベトナム語を駆使して、彼女はいろいろな場所まで足を延ばした。その場所とは、ダク ラク省、ザー ライ省、ラム ドン省、ハー ザン省、ラン ソン省、ラオ
カイ省、イエン バイ省、ゲー アン省などである。
◎第二の故郷◎
外見はまるでベトナム人のようで、ベトナム語も流暢に話すので、彼女を見た人は彼女が日本人だとはすぐには気付かない。彼女は到る所の民族の文化や風習や、彼らの生活様式を愛したのだった。坂道をよじ登り、山に登り、川を泳いで渡り、毎日一緒に民族の人たちと食事をすることも多かった。
「私はベトナムの少数民族の人たちを研究している時、毎日毎日が面白くて堪りません。彼らの伝統文化や習慣を研究すればするほど、その素晴らしさに気付かされます。」とMasakoさんは話した。
Masakoさんはベトナム北部のゲ アン省の高い山に居住している、O−DU(オー ドウ)族を訪問したことがあった。ここには22戸の家があり、64人だけ民族の人たちが住んでいた。
「このように少ない民族の人たちに対しては、何らかの手を打つなりして保護しないと、早晩その伝統文化や言語も失われてしまうでしょう。」と、Masakoさんは憂慮した表情で話すのだった。
「私が少数民族の人たちに会うのは、彼らの伝統文化や風俗を研究すること自体が楽しいのがまず第一の理由ですが、第二の理由としては、私が彼らを好きなのは前世から繋がっている縁のような気がするのです。」
「少数民族の人たちが暮らす田舎は、今や私の第二の故郷だと思っています。」とMasakoさんは話すのだった。
(解説)
私から見たベトナムの大きな魅力の一つが、少数民族の人たちの存在です。21世紀の今も、伝統ある固有の文化、風俗を失わずに現実に存在しているのが、本当に信じられません。
ラフカディオ ハーンは明治時代の日本人に出会った時、「太古からの伝統を失わずに今も伝えている。」と驚き、それからあのすぐれた日本に関する本を書いたようですが、ベトナムの少数民族をもし目の当たりにしていれば、ハーンはさらにまた強い興味を抱いたことでしょう。
今のベトナムには53の少数民族が存在しているといいますが、私が今まで実際に見ることが出来たのは、北部と中部の民族の人たちだけです。中部ではEde(エデ)族とBana(バナ)族の家や、その内部の様子を見ることが出来ました。
中部はまだ観光コース化されていないので、バイクタクシーのお兄さんが知っている民族さんの家まで案内してもらいました。しかしそれだけでも十分に感動しました。
さらにまた初めて北部のサパの町を訪れた時、山の中の石ころだらけの道を民族衣装を着た人が数人、深緑の中から背中に籠を背負って、裸足で向こうから歩いて来た時など、(これは現実の世界だろうか・・・!)と心臓がドキドキして来ました。それ以来私はサパという場所が大好きになり、今まで合わせて五・六回は行きました。
そしてまた同じ北部にはバック ハーという町があります。ここでは日曜日に有名な「サンデー マーケット」が開かれていて、そこではその市で品物を買い求める少数民族の人たちの民族衣装の展覧会のような光景が現れるのでした。
さほど広くもない敷地内に、たぶん千人以上は超えるもの凄い数の民族の人たちが密集している場面は圧巻というべきものでした。
赤や緑や青やピンクの糸で刺繍された民族衣装を着た花モン族という少数民族が(そのほとんどは女性ですが)、朝の8時くらいから集まり始めます。その華麗な衣装で市場全体が埋め尽くされる感動的な光景は、実際に見ないと分かりません。中には馬を引いて来ている若い民族の人もいました。
そして約3時間ほどはその市の中での買い物にみんなは夢中になり、やがて11時頃には潮が引くようにサーッと引き揚げて行き、その後の市場の敷地には静寂とゴミと食べ物のカスだけが広がっていました。
少数民族の人たちの家も遠くから見ると、高床式のワラブキ屋根のような家が多く(少し裕福になると耐久年数の長い瓦に換えるようですが)、その光景は私の世代のような日本人には強烈な郷愁を感じさせます。
高い道路から川を隔てた対岸にあるそのような光景を見ていますと、昭和20年代後半から30年代初期の、私の日本の田舎の光景と重なるような感じを覚えるからです。
私はベトナムの少数民族と最初に出会って以来、将来いつか実現したい夢があります。それはまだ足腰の元気なうちに、バイクで山岳部に住む少数民族を訪ねて、南から北まで縦断することです。
ローカル・バスやツアー・バスでは、ベトナムの運転手は猛スピードで飛ばしますので、たとえ私たち外国人が立ち止まって見たいような場所があっても、スピードを落とすこともなくあっという間に通過してしまい、そういう場所を落ち着いてゆっくり見ることなど出来ません。しかしバイクだと好きな場所で停めることが出来ますし、細い小道にも入れるからです。
でもこのMasakoさんのように、少数民族の中に住むことは無理でしょうが、彼らの家を訪問したりいろんな話を聞くことは可能です。
それも出来るだけ早くしないと、Masakoさんが憂えているように、ベトナムがこれから変化するにつれ、少数民族さんが一つ、一つ消えてゆくような気がするからです。
しかしそれにしましても、少数民族と暮らされているこのMasakoさんにも、いつか是非お会いしたいものです。
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