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留学の成功は親の理解と協力があってこそです。
実際、我が子をアメリカに送り出した保護者の方に心中を伺いました。

1.受験にはマイナス!?でも人生にはプラス
2.留学をきっかけに

3.崩れた自信と新たな自身

4. 我が娘を支えたもう一つの家族


受験にはマイナス!?でも人生にはプラス

1998年度生 SHINJIくんのお母さん

息子のSHINJIがアメリカから帰国し約4カ月経ち、日本の高校生活に逆カルチャーショックを受けながらも、来春の高校卒業のため、毎日、自転車を30分こぎ、通学しています。

思い起こせば、去年の今頃は、「アメリカの高校の授業についていけず、英語でF(落第点)を取った、強制送還になりそうだ。どうしよう」、「チューターをつけるように言われた」、「ホストチェンジになった」と息子から国際電話が入る度に、ハラハラドキドキしていました。日本の高校での成績が今いちで、やっと留学が決まった経過が有り、本当にやっていけるか心配をしていましたが、7月24日にアメリカに経ってから、「着いた」と簡単な電話があったきり、その後、手紙・電話の何の音沙汰がなかったので、なんとか息子なりにやっているのだと思っていた矢先の連絡で、ビックリする反面、やはり無理させたかなと言う思いになりました。

しかし、アメリカゆえ、こちらからは何も手助けすることができず、これが本人にとって、何事も自分で考え行動していかねば前に進めぬということを否応なし思い知らされ、甘えも許されない環境は自立と言う面では彼を大きく成長させたと思います。日本に居る時より真剣に勉強したようで、強制送還と言う危機はなんとか乗り切り、1月からは成績も向上したと言う事でクラブ活動も認められました。又、何とか英語も分かるようになり、高校生活を楽しめる余裕も出てきたようで、友達もでき、ドイツ、リストニアなどの留学生とも交流する機会にも恵まれ、充実した高校生活を送ったようです。

二番目のホスト先では、何回か意思疎通がうまくいかず、トラブルを起こし、青少年育成協会には迷惑を掛けたりしました。トラブルの中で、自分を理解してもらうことの難しさと、どうすれば理解して貰えるのかどうか悩み、苦労したようです。

この春、娘と一緒に息子のステイ先を訪れました。息子とのトラブルがあったにも関わらず、暖かく迎えてくださいました。4日という短い期間でしたが、息子のアメリカでの様子が分かり安心しました。家では何もしなかった息子が皿洗い・洗濯・部屋の掃除・犬の世話など良く働いている姿を見て、ビックリしてしまいました。向こうのお母さんに「ジェントルマンらしくね」と言われ……笑ってしまいましたが。残念ながらせっかくアメリカで身につけた事・家事の手伝いは、日本に帰ってきて、直ぐに以前の彼に戻ってきてしまいましたが……(親の躾の未熟さと反省をしていますが)娘がフロリダにいるホストファミリーに会いにいくため、私一人の帰国になり飛行機に乗るまで空港での短い時間でしたが、いろいろ気を使ってくれ、その時大人になったなと感じました。出して良かったと思いました。

アメリカでの約1年間の生活、息子にとって自分を見詰め直す時間になったと思います。日本の高校生活・大学受験等の点から考えれば、マイナス要因になるかもしれませんが、彼の一生と言う長いスパンで考えれば、何事にも変えられない貴重な時間となったと思います。彼なりに文化や考え方の違い等で葛藤があり、その中でいろいろの価値観があることを知り、それを認め合う事の大事さ・自分を主張することの難しさと大切さを学んだと思います。本当の意味で彼がこの1年間のアメリカでの生活を総括するまでにはまだまだ時間がかかるとは思います。それがこれからの息子の大きな課題あり、その時、本当の意味でこの留学生活の評価がでると思います。

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留学をきっかけに

1998年度生保護者

1999年7月一年間のアメリカ留学を終え帰国してはや3カ月が過ぎました。心配する程のこともなくすぐに元の生活に戻り次の目標に向かって頑張っているところです。

留学の話が出るまでの彼の生活ぶりは親・弟・妹の心配もよそに乱れつつありました。親子ゲンカが夫婦ゲンカまで発展することもしばしばありました。三年間しかない高校生活なのに特に目標もなく部活も二週間程でやめてしまいワルにはなりきれないけれど毎日がだるい、むかつく、おもしろくない、と言いながら出席日数が不足しない程度に家と学校の往復、中学時代の友達と時間に関係なくダラダラと過ごしていました。時間を持て余しているように見えました。

高校1年の秋、学校で一枚の葉書を手にしたことから日本青少年育成協会という名前を知り、受験セミナーの参加、同じ目標を持つ人達と交流ができ、眠ってたものを目覚めさせてくれました。「留学」という機会を与えていただいたことにより彼の生活も180度と言ってよい程変わりました。勉強にも力を入れ、行動も考えてするようになりました。「留学」という夢が叶う喜びと共に事があまりにもうまく運ぶので「本当に行くんだね」「夢じゃないよね」と出国日を迎えるまでは親子共落ち着かず、不安がぬぐいとれませんでした。他の留学生の皆さんはちょっと海外旅行にでも行くかのようにはしゃいで見えましたが、彼は単身親元を離れるのは国内外で初めて、生活習慣や文化の違う異国へ行くことの不安と期待が複雑に入り混じり極度の緊張が伝わってきました。言葉少なく送り出したのが先日のことのようです。

留学中やせるどころか6kgぐらい太ったということで異国の水があったのか、ノー天気なのか、単にズーズーしいのか、とにかく心配していた大病にもせず帰国できたことは成功に終わったんだなと喜んでいます。帰国の日飛行機は定刻に着いたのに彼の姿が見えるまで約1時間かかった。にぎやかに笑いながら現れた彼は日焼けし、筋肉も鍛えられたたくましい体になっていました。ほっとして肩に入っていた力がスーっと抜けたように軽くなりました。

我家に今まで全くなかった英語の手紙や小包が届くようになりアメリカからの電話も時々あることが生活の中で一番変わったことです。彼自身もずい分変わりました。以前に比べ明るく積極的になったこと、自分から進んでしゃべるようになったこと、考えをはっきり主張できYes・Noもはっきり言えること、全くと言ってよい程なかったボランティア精神が養われたこと、人の気持ちを大切にすることなどあげれば数々ありますが留学を手段として独立心も養われより成長より大人へ近づいたことは大きな成果だったと思います。彼自身すばらしい経験だったに違いありません。親としてもつくづく留学させてよかったと思っています。これも育成協会のスタッフの皆様や色々な方面の方々の御助力のたまものであると感謝に絶えません。将来の日本を担う一人として国際人として大きくはばたいてほしいと願っています。

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崩れた自信と新たな自身

1999年年度生保護者 YUIさんのお母さん

昨年7月末に関空から飛び立つ飛行機を見送ってから11ヶ月。ようやく自分の手の中に戻って参りました。この安堵感!!手の届く範囲に我が子がいるということがどんなに大きなことか!
“しっかりした娘”ということに絶対の自信を持って留学へと旅立たせた昨夏。この自信が完璧なまでに崩れ去るのに3ヶ月とかかりませんでした。

娘曰く、「16年分の苦労をこの11ヶ月間にしてきた」そうで、それが必ずしも誇張でないことは、やせ細った娘の姿が証明しておりました。胃の痛くなる(実際に痛みました)程の心配をした数ヶ月。周りの人たちの助けがあってこそ乗り越えることができました。感謝感謝です。又、苦しさ、つらさの中でも周りの人たちに助けられつつ最後まで頑張りぬいた娘にも乾杯です。

娘自身は苦しい日々の中からも多くのことを学び、日本にいては気がつかなかったであろう事にも心開かされたそうです。親元を離れての留学の意義が“語学修得”という当初の目的・目標と大きくずれ込んだ所にこそあったのだということに、気づかされた約1年でもあったようです。「この貴重な経験を必ず今後の自分自身の人生に生かせると思う」と話す娘の姿に少したくましさを感じた私です。

たくさん心配をした1年だったけれど、やはり留学させて良かったと思える今日この頃です。お力添えいただいた協会のスタッフの皆さん、米国での関係者、ホストファミリー、本当に多くの方々に対し、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

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我が娘を支えたもう一つの家族

1999年年度生保護者 MINAさんのお母さん

娘が高校受験直前に「交換留学の選考試験を受けたい」と言い出したとき、ぜひ行かせたいと思った。若い時の体験や感動はその後の人生の宝となると常々思っていたし、私自身の学生時代には、留学など簡単には果たせなかった分、今の時代に望んでかなうならこんな幸せなことはない。

実は、本人は中1、中2の夏休みをモンゴルで過ごし、日本とはまったく違う文化、習慣や考え方に接して大きく人生観が変わったようだった。それで、今度はまったく対照的な米国での世界を体験してみたいという思いをもったようだ。さらに、「自分をもうひと回り大きく成長させたい」という言葉に、家で甘やかせて育てていたので、少しは自立に近づいてくれるかも、という願望があった。

3月中旬、国内審査をパスしたあとは毎日が嵐のようなあわただしさであった。中学卒業式、高校入試、米国審査に向けての英文書類作成、留学のためのオリエンテーション、そして7月の出発を迎えた。文化交流使節という役目を背負っているのだからと、日本の家庭料理やゆかたの着付けを教え、桜、藤、茶畑、お雛さま、鯉のぼりなどの写真を撮って持たせた。荷造りは全部自分自身で整えるよう言い渡したが、出発直前、午前2時頃までようやくかかって、やっと間に合った。

留学中は電子メールで連絡を取り合った。一生懸命がんばりすぎるタイプなので、ダウンしないようにと伝えていた。一番幸運だったのは、ホストファミリーのご両親にかわいがっていただいたこと。ホストファーザーから「自慢の娘だよ」と電話でほめていただいた時には、親として本当にうれしかった。

帰国直前になって、友人関係でホストファミリーと少しトラブったことがあった。宗教の問題もからんでホストファミリーの気に入らない人たちとつき合うことを禁じられ、本人は相当まいっていた。この時、娘には「信じているし、あなたが間違っていると思わない。だけど、今は全責任はホストファミリーのご両親にあるのだから、彼らに従ってほしい」と伝えた。結果的には娘は素直にホストペアレンツに従い、円満に解決して帰国となった。これも、ぞれまでのホストファミリーとの信頼関係が深かったからこそ、と思う。どうも米国では、親は子どもに対して絶大なる権力を持っていて、親との約束を守らなかったら(それが部屋のそうじや家事手伝いであっても)、友達と遊ぶのも外出も電話も禁止と、なかなか厳しいらしい。

娘は、親元を離れてはじめて、いかに今まで甘やかされて育ってきたかを知り、日本を外から見て改めて日本人のよさを知ったと思う。その言葉を聞いて、本当に娘を留学させてよかったと思った。

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