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これは、1999年7月から2000年6月まで交換留学生として渡米していたMomokaさんに、帰国後インタビューしたものです。
最初のホストファミリー
最初のホストファミリーは、ホストマザーとホストファザーと2歳の子どもと1歳の子どもがいて、わたしが行って、1月もたたないくらいに赤ちゃんが生まれたんですよ。生後3日の赤ちゃん抱かせてもらいました。
家にはわたしを入れる部屋がなかったんで、隣の人の家の一部屋を借りて、ごはんのときとかはホストファミリーの家にいて、寝るときになったら自分の部屋がある家に戻るっていう生活をしてました。
お父さんが二つ仕事を持っていて、それをお母さんが手伝っていたので、よくビジネスミーティングで晩出て行っていたんです。普段はベビーシッターを雇っていたんですけど、人がいなかったらわたしがベビーシッターも、夕食の台所の片付けとかも全部やってました。2歳くらいって、かわいいけど、ちょこちょこよく走り回るし、2歳にしちゃめちゃくちゃ口が達者でよく話しかけてくるんですよ。で、1人泣き始めたら、1人泣き始めるし、2人でおもちゃのとりあいし始めるし、でも赤ちゃんもいるしで、けっこう大変でした。
この家は4年前くらいにドイツの留学生を受けていたことがあるそうです。今年はわたしがいなくなった後、アルゼンチンからの留学生を受け入れるって聞きました。
自分で決めたホストチェンジ
10月の終りくらいに、赤ちゃんも生まれたから部屋も足りないし、引越しするって話になったんです。でも、私は学校があるし、せっかく慣れてきた頃で友達もできはじめたんで、このまま残りたかった。コーディネーターに言ったら、コーディネーターは「私はあなたの学校についてわからないし、どんな人がホストになれるかわからないから、自分で探しなさい。」って言われたんです。どうやって探そうかなって思ったとき、自分が入っていたマーチングバンドのメンバーが150人くらいいたんで、絶対この中からホストが見つかるだろうと思ってみんなの前に立たせてもらったんです。そして、ホストファミリーがほしいんですって言ったんですけど、普通にホストがいないんでお願いしますっていうだけじゃインパクトもないし、わたしが困ってるってこともわかってもらえないと思ったんで、ホストがいなかったらこの学校から移動しなきゃならないけど、わたしはここに残りたい、もっとみんなといたいし、大会もいっぱいでて、いい思い出をあなたたちと一緒に作りたいって言ったんです。これで見つからなかったらっていう瀬戸際だし、この言葉が通じなかったら絶対あかん、絶対言うんやって自分に言い聞かせて。そしたら、気持ちが伝わったんだと思います。そこまで私たちと一緒にいたいなら入れてあげようって感じで一人の人がでてきてくれて、次はその同じバンドにいた子の家に住むことになりました。
2番目のホストファミリー
2番目のホストの家には、お父さん、お母さんと4人の子どもがいて、全部女姉妹でした。それも23歳から下が14歳まで。同い年の子がいたんでその子の車で一緒に通学していました。
わたしと同じ年の子は、一緒のバンドに入っていて、次、高校卒業するので大学を探していていました。。この子と一番よくケンカしました。朝、その子が起きないとわたしも一緒に遅れるんで、ちゃんと起きてとか、わたしがキリスト教じゃないので、悪いやつだと言われてケンカしたり。あと、わたしの友達は宗教とか信じない子が多くて、たばこは吸うし、お酒は飲むし日本でいうワルみたいな子がいたので、その子たちと週末遊びにいこうとしたら、その子にあの子らはこんな子やから、モモカを連れていったらあかん」っていわれて行けなくなった時。そういう子たちは、わたしにとってはいろいろ助けてくれるいい友達だったのに、その高校生の子が何も知らずに、あいつらはワルや、性格曲がってるっていうから、あんたはこの人たち中身を知らんのに、見た目で判断するからあかんのやって言ってケンカになったりとか。でも、次の日とかに手紙を書いて、昨日はごめんね、わたしが悪かったって言って仲直りしていました。それも、普通のメモ帳に書くんじゃなくて、色紙とかを自分で買ってきて、形くりぬいたり、自分で絵とか書いたりして、自分で作ったカードにメッセージ書いて渡すんです。
その下の子は、ジュニアハイスクールを卒業して今度高校に入るので、高校のサッカーチームにちょっとだけ入れてもらっていました。サッカーとかスポーツ大好きな子なんで一緒にやってたりしてました。
一番上の子は今23歳で看護学校行ってたんですけど、その子が私が行ってた1年間、休学をとって働いてたんですよ。
2番目の人が20歳で、音楽が大好きで音楽系の大学に行ってたみたいです。その子は家をでて寮で1人暮していて、毎週末帰ってきていました。この子と一番仲が良かったです。
週末になったら家族全員揃うんで、お姉ちゃんの車に乗せてもらってドライブに行ったりとか、映画見にいったりとか、楽しんできてました。みんなすごく仲がよくて、抱きあったり、“Hug、hug”“I love you.”とか常に言ってました。最初ジョークを言われても本気にしてたんですけど、そのうちジョークで返せるようになりました。けっこう太っている家族で、声も大きいし、笑い声も大きいし、下の階で笑っていても、上の階まで聞こえるっていうくらいにぎやかでよかったです。
お父さんはコンピューターのセールスマンで、コンピューターが売れなかったら収入がなくて、売った分だけもうけれるっていう会社だったんです。収入の安定のために、お母さんのお父さんの会社をお父さんも手伝っていました。
お母さんは大学で秘書をしていて、毎日大学に行っていました。たまに大学で英語の授業を受けるときには、一緒に受けさせてもらったりしていました。
家族はみんな車を持ってました。それも、その家族の中にきまりがあって、高校を卒業したらおじいちゃんおばあちゃんから車を買ってもらえるんです。それまではおじいちゃんの乗ってた、もう乗らなくなった古いのに乗る。だから、家の横にある倉庫の前にお父さんのトラックと、普通のトヨタの車と、お母さんの昔のキャデラックと、わたしの同級生の子が乗ってるおばあちゃんからのお古と、お姉ちゃん2人のフォードの新車が並んでいるんです。おじいちゃんもおばあちゃんも会社を持っていたんで、けっこう裕福な家庭だったみたいです。
すごく明るくて、笑顔が絶えない家族で、ほんまに幸せそうやなっていうのが第一印象でした。聞き取りにくいときとかあったら、わたし、口に目がいく癖があって、ほらほら、モモカがまた口ばっかり見てるよって、誰かが言ってくれていたし。
家事の分担
自分のものの洗濯と、食器洗い、乾燥機に入れて、また棚に戻すっていうのがわたしの仕事でした。日曜日は掃除の日と決まっていたので、その時は家具の木とかをふく係りをやっていました。
それは、向こうにやれといわれたわけじゃなくて、食器がキッチンのところにいっぱいたまっているんで、それ見て、汚いなー、誰もしないならやろうかなと思ってやってたらそれが習慣になっちゃいました。日曜日の掃除の日は、お母さんに、わたしは何をやったらいいの?って自分のほうから聞いて、じゃ、ぞうきんとスプレーで家具磨くかって言われてわたしの仕事になりました。
教会通い
お父さんが、教会の役員みたいなのをやっていたので、水曜日の夜と、日曜日の朝と晩の週3回は必ず家族そろって教会行ってました。水曜日の夜はバイブルスタディ。牧師さんの短い講話のあとに学年ごとのクラスに分かれて勉強して、日曜日の午前中は普通のミサ。夜はミサの小型版みたいな感じで歌だけ歌う日もありました。
わたしはクリスチャンではないけれど、自分が信じるか信じないかじゃなくて、知識として知っておくのも悪くないなと思ったので一緒に教会に行ってました。教会に行くことで、考えが変わったり、助かったということはないけれど、聖書が言っていることはアメリカ人にとって全てであって、それをひやかしたりとか、けなしたりするようなことを言ったらだめだなっていうのがわかりました。アメリカ人って、何かを信じていないとだめみたいな面があるんですね。だから、宗教を聞かれてないって答えたら、えー、冗談やろ!?みたいな反応をされる。もちろん、みんながみんなじゃないけれど。
ホストファミリーとの忘れられないエピソード
親戚親類集まるのが大好きだったんです。誕生日には、家族だけじゃなくて、親戚みんなでおばあちゃんの家に集まるんです。カードとか、プレゼントもらったりとかして、ハッピバースディトゥーユーって歌うんですけど、それが、バラバラなんですよ。早く歌い終わった人は最初からまた歌い始めるし。で、誕生日の主役の人が、シャッってやったらみんなピタッと止めるんです。最初にきたのがわたしの誕生日だったので、最初いじめられてるのかと思いました。クリスマスにしろ、大晦日にしろ、いつもみんなで集まってパーティーしてました。大晦日には、普通のパーティーだったら面白くないっていう意見がでて、2000年になることだし、1900年から2000年までのファッションを10年ごとにくぎっていって、家族ごとに担当を決めて、各家族その年代のコスチュームでドレスアップすることになったんです。わたしの家族は1940年代担当だったんですけど、わたしは浴衣を着てみんなとカウントダウンしました。ほかにも、教会にある日本の婦人会みたいな団体のおばちゃんたちとか集まるホームパーティーがローテーションで回ってくるんで、うちの家にきたときには、みんなで掃除して、テーブルのセッティングして、ゲームをだしてみんなで楽しんでいました。
ホストファミリーとのお別れ
別れるときも、みんな空港にきてくれたんですよ。みんな、わたしが日本に帰るその日の朝から教会のバイブルキャンプに行っていて、みんなきてくれないかなと思ってたんですけど、朝4時に起きて車とばして戻ってきてくれました。わたしのホストファミリーと、お母さんのお姉ちゃんの家族と、一番上のお姉ちゃんの婚約者まできてくれたんです。HUGもいっぱいいたから誰としたかわからなくなったくらい。今でもe-mailで連絡をとっています。
アメリカでの大切な仲間たち
クラスが一緒で席が近かった子が、どこから来たのとか、アメリカに来る前から英語は知っていたんかとか聞いてきて会話が始まるって感じでした。わたしは名前を聞いたら紙に書いてもらって覚えるようにしてたんで、名前であいさつすると、あ、名前覚えてくれたんやなって感じで仲良くなっていきました。一番仲良かった子は男の子で、6時間の授業の中で、3コマ同じ授業をとってたんです。20歳でまだ高校生していた人だから、学校のことはよく知ってて、学校のことで問題とか質問があったら、その子に聞いていました。めちゃくちゃなことやってる人かもしれないけど、わたしにはちゃんと教えてくれるから、年が違っても気にならなかったし、大切な存在だった。向こうってみんなチャイムがなったらすぐ部屋から出ていっちゃうから、最初のうちは、ひきとめたら悪いかなと思って先生に聞いてたんですけど、仲良くなったら、明日のテストどうする?助けてよーとか言って助けてもらったりとか、プリントの答え見せてもらったりとかしていました。
あと、よく助けてもらってたのが、ドイツからきてた留学生です。ドイツからきている子は英語力がわたしよりはるかに上なので、同じ授業をとってても、向こうが1時間目でわたしが3時間目だったりしたら、休み時間の間に待ち合わせて今日どんなことした?って授業の前に教えてもらったりしていました。
うちの学校はすごいいろんな場所から生徒がきていたんです。メキシコ、インド、イラク、ラオス、ケニア、南アフリカ、フィリピン、タイ、中国、韓国、コロンビアからもいました。それもまだ、来て1年とか5年くらいの人がいっぱいいたので、こんなときどうしたのって聞いてみたりしていました。
マーチングバンドでできた友情
最初、学校のガイダンスの人にどのクラスをとればいいか相談していたとき、音楽が得意でこの楽器を吹きたいって言ったら、バンドに入るにはオーディションがあって、でもそれは年の初めにするものじゃないから、いきなり入ろうとおもっても無理っていわれたんです。でも、かわりにとったピアノの先生がバンドの先生にわたしのことを話してくれて、特別に入れてもらったんです。バンドのクラスが4つあるんですけど、1学期間全員統一してマーチングバンドもやるんですよ。それは授業中もやってたし、放課後も残って2時間から2時間半くらいやってました。その1学期間の間はマーチングの練習で忙しいんで、大変でした。わたしはEuphoniumっていう管楽器をやっていました。とにかく楽器を吹きながら隊形も変えるし、歩くし、大変ですよ。けっこう強くて、全米大会で6位くらいになったんですよ。フットボールの試合には絶対マーチングバンドがついていくんです。マーチングの季節って秋くらいなので、それが終ったらわたしはパーカッションアンサンブルに入れてもらっていて、それも第3位になって、メダルもらって帰ってきました。
帰る頃、フロリダまで遊びにいってた友達が、わざわざフロリダからわたしの家に電話かけてきてくれて、さみしいよー、気をつけて帰りよって言ってくれたり、写真とかスクラップブック作ってくれたり、モモカソングっていうの作ってくれたりしてたんです。口でラップのリズムを刻んで、その口のリズムに合わせて「こんにちは」「げんき」「ありがとう」「さよなら」っていうわたしが教えてあげた日本語を歌って、その言葉の間に「モモカ!」って言ってくれるんです。マーチングの移動のときとかにもみんなでこの歌を歌っていたのが、すごいアメリカ的で印象に残っています。
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友達にもらったスクラップブック
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アメリカで気づいたこと、大きいアメリカと小さい日本
アメリカはやっぱり大きい。道も、人も、建物も、全てが大きくて、その中でみんなが自分の責任のもとで楽しく自由に遊びまわっている。でも、日本はすべてがせまくて、小さくて、そのせまい中で、親の監視の下の遊べる範囲で遊んでる。そういう違いがあると思いました。だから、帰ってきて全てが小さく、せまく見えて、空港まできてくれたお父さんの車みて、車買い換えた?って聞いたくらい。お父さんもお母さんも背がちじんだなぁって言ったら、おまえがでかくなったんやろっていわれて、それで、日本なんやって実感しました。アメリカだと、自分の責任のもとで行動するから人に何を言われても自分は気にしないってのがあるけど、日本の場合は、そんな自分の責任のもとで行動するとか大きいことを考えずに、適当にやってる感じがしました。
自分の変化
親や家族がいないと何もできないんだなって思うようになりました。家族が賛成してくれたから、アメリカに行けたわけだし、家族がいろいろ生活費とかだしてくれたから、わたしは向こうでみんなと楽しく過ごせた。今までは、家事を何もしてなくて、全部お母さんがやっていたと思ったら、お母さんに悪い気がして、これからはちょっとでもできることがあれば自分でやろうと思っています。
家族に感謝をするようになったし、それを表現できるようになりました。Hug、hug.ってやったり、ありがとうありがとう、Love you, love youって、アメリカのホストがよく言ってたのをそのまま日本でもやってます。お父さんは恥ずかしいみたいで、さすがにlove
you, love youはしないけど、仕事とか行く時、いってらっしゃーいって手をつないでHug,
hug.ってやるんです。今までお父さんのこと、うっとおしいし、必要なときにいないくせに、いらんときだけ家いるとしか思ってなかったんだけど、お父さんが働いてくれてるから生活できてるって思えるようになったし、素直にいってらっしゃいと言えるようになりました。
あと、何でも自分でするようになりました。もともとしたいことにはチャレンジするっていうのはあったのですが、それがもっとふくらんで、挑戦する前から失敗することは考えずに、とにかく一回試してみてから自分で判断するしようと思うようになりました。
何かわからないことがあっても、わからないからといってその場でとまるんじゃなくて、わからないなりの努力をしていれば相手もわかってくれる、その努力をみてくれるっていうのを向こうで学びました。理解できなくても、理解しようという努力が大切ということがわかったと思います。
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